ケアラーとして生きること。 - アタラクシア

ケアラーとして生きること。

20代から10年以上ずっと、福祉の現場職として働いていた。

10年、と書いたけれどその間、持病のために休職や退職をなん度かくり返しているから、しっかり10年間休まず働けた、とはいえないかもしれない。でも少なくとも10年くらいは、現場で働いて、それなりの知識と技術を身につけた。それはわたしの自信であるし誇りでもあった。

これから先もずっと現場での仕事をしたいと思っていた。でも10月末で前職を辞めた。前職もまた福祉職で、がっつり現場。体(と、心)を壊して、辞めることになってしまった。

うまくいかないなあとつくづく思った。

地元にいたときの職場の上司の方に、あなたほど熱心で情熱的な職員はいなかった、と。引っ越しを機に退職する際、言われた。泣くほどうれしかった。ほんとうに。新天地でもこの仕事を続けよう、ずっとこの仕事をしようって思った。

わたしには精神疾患があり、長時間の肉体労働に耐えうる力がない。それをカバーしたくて短時間での勤務を選んできた。それでもなお、今年に入って二度、体調を崩した。短期間での二回の退職。それで今は、仕事はしていない。

福祉の、現場職がよかった。そうじゃなきゃいやだってずっと思っていた。そうじゃなきゃ生きてる意味が見出せないとさえ思った。だから必死にその業種にしがみついていたけれど、この歳になってやっと、自分の体調や体力に見合った仕事に就いた方がいいのかもしれないと考えるようになった。それは今回、仕事を辞めて、ある本を読んだことがきっかけだった。

小川公代著「ケアする惑星」(講談社)。

日本におけるケアや、ケアラーの処遇、かれらかのじょらのありようについてがとても丁寧に描かれている良著。

わたしはここではじめて、介護や看護といった名前の「ついていない」ケアラーについて思いを馳せた。家事労働や育児などを担う「親(あるいはそれに等しい者)」という存在は理解しやすいかもしれない。

ケアラーは、ほんとうは日常にあたりまえに存在しているものだ。介護士・看護師・保育士‥などの名を冠されていない人々の、無償の営為。

福祉職(=名前を与えられたケアラー)にこだわらなくても、ケアの心を持って日常に実践していればそれでいいのではないか? と思うようになった。

誰かに寄り添い、話を聴き、思考し、提案する。ケアとはそういうもので、でも、それだけじゃないっていう発見は、わたしには驚きだった。

わたしはこの先、どんな仕事をするのだろう。やはり現場での仕事に戻ってゆくのか、はたまたまったくちがう畑を耕すのか。

上から目線に聞こえるかもしれない。でも。

いずれにしても、わたしはずっと「ケアする人」でありたいと思っている。そう思っている限り、わたしの夢は潰えない。

24.1115(初出:しずかなインターネット)

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